• 森林整備によって、副次的に生み出される山の恵みをおすそ分け

    コロナ禍に直面した都会の若者が、今の生き方は他人に自分の命を握られているということに、初めて気がついた。

    それは、仕事を休みたくても休めない。同調圧力に従うしかない。突如、解雇される。それって、屠場に向かう肉牛と同じではないか?(本橋 成一屠場

    そんな人生でいいのか?と問いたい。

    確かに、生きるために働くことは必要である。家賃を払ったり、食費を払ったり、子供の学費があったり、家族を守る必要があるのは、当然である。

    しかし、それらは、金がないとできないことではないのである。

    私も、都市で生まれ育ち、10年前まで東京の映画配給会社で働いていたので、そのことに全く気づかなかった。ただ、都会で働くことには強い疑問を感じていた。

    なぜ、人は働かないといけないのか?

    今から10年前、私は紀伊山地(三重、和歌山、奈良にまたがる)、熊野の山道を一人、テントを担いで歩きさまよっていた。そんな折、私が山村に住み、林業を始めるきっかけとなったある老人との出会いがあった。その老人は山村で生まれ育ち、田畑で農作業し、山仕事をし、老いていく、それで満足なのだという。畑で野菜を作り、田んぼで米を作る。茶を育て、家の庭からは熊野の山々の絶景が広がる。仕事は何をしているのか?と聞くと、バカを見るような目で「仕事なんかしなくても食っていけるんだよ」と老人は吐き捨てるように言った。私は目からウロコが落ちた。

    なるほど、先祖代々の土地があり、家があり、田畑があり、湧き水があり、山林があれば、確かに働いて金なんか稼がなくても生きていける。これは先祖代々の家があればこそ成り立たつ。だが、現在、山村は過疎化が進んでいるので、土地、家屋、田畑、山林などを借りることが可能である。私も地元を離れている人から山林を借りている。要は、自分がやるか、やらないか、動くか、動かないかだけである。

    全く働かず、自給自足というのは難しいかもしれないが、都会の生活のように生きるために働き続けるということはない。

    私も以前は、都会で働き、疑問を感じながらも、ストレスにまみれ、生きるのに精一杯だったからこそ言えるのだが、山仕事には全くストレスがない。当然のことであるが、利害関係者と関わるよりも猪、鹿、猿と関わる方が多いのだから。人間相手ではなく自然相手なのだから、もし仕事がうまくいかないときは、人のせいでも、自然のせいでもなく、自然法則に反している自分のせいなのである。そのように考えるとストレスは全く感じない。

    幸いにも、現在、日本政府は温暖化防止、国土保全、水源涵養などの名目で、森林環境税の導入を決め、林業への財源を増やしている。(下記参照)

    また、 緑の雇用という、新人研修制度が充実している。

    都会の歯車から離れ、意味のある生き方を若者が始めれば、国が大きく変わる。既得権益者に気を使う必要は全くない。なぜなら若者より先に死ぬのだから。