本日の1冊は石牟礼道子「苦海浄土」。
この本は詩人でありシュフ(主婦)の石牟礼道子が、水俣病で死にゆく漁師たちに対するシステムの暴力性を描いた小説である。
なぜこの本を取り上げたのか?それは先日、社会学者である開沼博の福島第一原発発電所フィールドレコーディング作品「選別と解釈と饒舌さの共生」リリースに伴い、DOMMUNEにてnami satoの無観客ライブ配信が行われ、「苦海浄土」を読み返したためだ。
水俣病は熊本県水俣市において、新日窒水俣工場からの水銀たれながしによって漁師とその家族が殺され、今も障害に苦しんでいる人がいる公害である。
このようなシステムの暴力は、現在、局所的なものから、世界的な広がりをもつように肥大している。
原発爆発、新型コロナウィルス感染爆発、気候変化による人類全体へと球体的に拡大していることは誰もが知ることである。
だが、私はこのシステムは止めることができないだろうと感じている。
なぜなら、システムを回すことに大部分の人々が加担しているのだから。
だから、今するべきことは社会が破綻した時に、仲間とともにサバイブする能力を身につけることだろう。
私が林業会社を経営し、キャンプ場を運営しているのもそのためである。
前例から学び確実なことは、弱者から死んでいくということである。
水俣病で見捨てられたのは漁師とその家族。会社はシステムに守られている。
権力者もシステムの一部だが、弱者を切り捨てるという意思決定を下す役割を持っている。
そのことを肝に銘じ、システムから一刻も早く抜け出してほしい。
弱い人ほど、早く、生活保護でもなんでもいいから。方法はこちらから
この我慢比べを乗り切ったところで明るい未来は待っていない。
さらに悲惨な破綻が法螺貝のように大きく口を開けて待ち構えているに過ぎない。
弱い人とは、弱者を切り捨てるという意思決定を下す役割を持っていない人のことである。
だから、みな見殺しにされる。「苦海浄土」に出てくる水俣病を原発やコロナに置き換えて読めば、昔から何も変わらずシステムは存在していることがよくわかる。決定権者が変わってもシステムは変わらない。
そのことに気づき、多くの人がシステムを手放せば、ソフトランディングで新たな世界が生まれるかも?無理筋かあ。