• 森林整備によって、副次的に生み出される山の恵みをおすそ分け

    気持ちいい、最高、もう死んでもいいよーって人、いますか?いませんよね、そんな人。

    そのような状態を目指している人はいますか?いませんよね、そんな人。

    みんなが目指していたら雇われのサラリーマンになんかなるわけないし。学校に行かないだろうし。延命治療にすがりつかないだろうし。

    確かに長生きしたい、死にたくないというのは分かる。

    今の生活を続けていけば、将来はよくなるのではないか?と希望を持ちたくなるのも分かる。

    しかし、その前に人類にとっての地球が破綻するだろう。地球の資源を消費することによって、実は同じだけの負債を追っているのである。

    それは目には見えにくいものである。例えば、匂いや音など、自ら望んでなどいないのに、いつのまにか負ってしまうものがそれだ。排気ガス、騒音、気候変動、ダム建設など懇願してもやめてくれない。

    法律は犯していませんと言われるだけだ。

    法律を犯していないということは国が認めているものであり、国民全員に押し付けられている負債の一種だと考えればわかりやすい。そのような見えない負債が、無意識のうちに与えられた結果、対価として得ているものが今の社会である。

    もう一度聞く。

    それだけ負債を負って、今の生活は最高ですか?借金をしてそれを好き放題に散財して返さなくていいと言われたら最高じゃなきゃおかしいはずである。

    しかし、今の社会はそうはなっていない。

    今の日本社会がやっていることは一生懸命働いて、そこで得たストレスを発散するために、地球を散財し、より一層働くという繰り返しである。

    良くなるはずがない。可能性は全くない。ではなぜ社会が破綻したらまずいのか?

    たとえ私はもうすぐ天寿を全うするので関係ありませんという人でも、今まで人類が刻んできた歴史を全て無に帰すのは、人類全ての想像力への冒涜であろう。

    ただ生きるだけの今の生活を維持するために、地球を消費し尽くし、想像力滅亡の危険を犯している。

    今の社会はリターンが何もない、負けが決定したゲームである。得るものはただの我慢。では一体どうしたらいいかって?我慢をやめるんだよ。

    コロナ禍でよかったことがある。それはみんなが経済活動をやめれば地球がきれいになるということ。